千切り山川との合流地点より眉山を望む
昼間は個性を主張し合っていたさまざまな色たちも、たそがれ時には、仲良く夕暮れ色に染まっていく。
個性という言葉は、そもそもは動物学の用語だったと教わったことがある。人間には長い年月をかけて培ってきた理性・感性・悟性があるのだから、なぜ、今になって、あえて個性を主張するのか?多様であることはあたりまえで、社会とは調和であり、個性は調和を妨げるもので、隠すべきものなのでは?
では、なぜ、個性を主張する社会になったのか?
それはあまりにも人間の多様性が失われたからではないだろうか?
日本の風景や街はどこもコンクリート・アスファルト・鉄・アルミでできていて、どこも同じようになってしまった?街や風景にその地域の風土を反映したものが失われてしまい。生活から個性的で多様な自然が感じられなくなった。街の中で自然なのは人間だけになってしまった。だから人は個性を主張しなければならなくなったのではないだろうか?
人は自然を大きく離れては生きていけないのではないだろうか?お金の論理で、経済性だけですべてが計算しつくされる社会より、いのちの輝きに満ちた社会になるように・・・
たそがれどきにお祈りをする。
(リトル・ガウディ)
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