
命を大切にする社会でなくてはならないと思う。
キリストでもイスラムでもいいが原理主義はよくない。
命よりも大切なものを社会の中に作り出し、その原理のためになら、命も捨てるというのはおかしなことだ・・・
この社会をほんとうに豊かなものとしていくためには、まず命の大切さを考えることから、はじめたいと思う。
近代という時代は命を軽んじた時代だったと思う。戦争はまさしく、その最たるものであるが・・・もっと身近にも、普通の生活の中に命を軽んじているモノがたくさんある。
魚の命を脅かす合成洗剤・商品以外の生きものをみな殺しにする除草剤や殺虫剤。なんでも抗菌という文字が書いてあるが、抗菌が、そんなにすばらしいことなのだろうか?
車の排気ガスがいったいどれだけの生きものを弱らせていることか・・・
はじめに犠牲になるのはいつも小さな命である。目に見えない無数の命たちが、まず、犠牲になる。それが目に見える大きさになっても、わたしたちは気づかないことが多い。すぐとなりで、魚や鳥や獣たちの命が失われても、まだ知らぬ顔ができてしまう。
はじめに悔やむのは、同じ種である人間が犠牲になったときだろう。人間もちいさな命から順番に失われていく。それは計り知れない深みをもつ悲しみだ。
そして、人間がはたと気づくときには、病魔は深く深く、人間社会に入り込んでいて、どうにも抵抗できない事態になっていたりする。
わたしたちは、はじめに失われるちいさなちいさな命たちの「もっと生きたかった」という声なき声を、耳をそばだてて、もっともっときくべきだったのではないだろうか・・・・
アトピー性皮膚炎の子どもがこんなにたくさんいて、アレルギーの人がこんなにたくさんいて、化学物質過敏症の人がこんなにもいて、それでもわたしたちは気づくことができないでいる。
人間が死ななければ、それでいい。薄いから安全。薄まるからから安全。そういう考えはもう限界にきている。人の命を即座に奪うものでなくても、ちいさな命を奪っていくものは毒である。
毒を毒だと警告し、毒になる物質をつくることをやめないといけない。いつのまにか日本人は今、世界一ダイオキシンで汚染されている民族になりはててしまった。
もういちど、命を大切にする社会をつくりあげていきたい。命を育む力に満ちた社会の方が、きっといいにきまっている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・青空とんぼ